58.天領でなく幕領のこと

高山陣屋(Wikipediaから) 今回の話題は、これまでに何度か登場した「陣屋」について、である。 読者にあって馴染みがあるのは、岡崎の土呂陣屋であろう。 土呂陣屋跡は、現在の土呂八幡宮社域とされている。だが八幡宮は陣屋の片隅に勧進されたのであって…

第1部 目 次

残日録 日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ 三屋清左衛門出自のこと 下敷き「長門守一件」のこと 右馬允 江戸幕府主導の偽作のこと 50を超す松平家のこと 代官の俸禄と勘定方のこと 信光に傚った弥三郎のこと 家督めぐる下克上のこと 大義名分と義理仁義のこと 念 …

第2部 目 次

この史譚は歴史的事実を踏まえつつ、推測と想像を交えて書いています。ご一緒に想像を膨らませながらお楽しみください。 清三郎 関ヶ原合戦のあとのこと 伏見と駿府の幕府のこと 泣き虫の寝小便垂れのこと 代官の子は代官のこと 市右衛門と長四郎のこと 長澤…

57.江戸に幕府を集約のこと

久能山から眺めた駿河湾 この史譚の第一部は松平念誓(清蔵親宅)の死去で終わった。今回は徳川初代将軍家康の死を扱うが、節目ではあっても部の変わり目にはならない。物語のうえで中心となるのは、家康より松平正綱になる。 元和2年(1616)4月17…

56.朝倉才三郎の跡式のこと

駿河臺:不二三十六景(廣重画) 駿府城を訪ねる前、圓一は家康付きの侍医片山宗哲から、「腹中の岩」について聞かされていた。ともに法印でもあり、宗哲にすれば惣検校と誼を通じておいて損はない。 ときおり鋭い痛みが走るのを大御所は ――真田の祟りじゃ。…

55.最後の懸案は大衆統治のこと

早雲寺:箱根町湯本(箱根ナビから) このとき家康が駿府城本丸の書院で惣検校圓一を迎えたのは、今川の質だったときの幼馴染と思い出話をするだけが目的だったわけではない。その一言が天下を左右することになる家康であればこそ、配下の本多正純や松平正綱…

54.大乗につきお目こぼしのこと

江戸時代の医師は法体が多かった 元和元年(1615)に時を戻す。 家康が駿府に戻ったのは8月の末である。 そのあとを追うように、当道座職の総検校伊豆圓一(土屋圓都)の一行が駿府にやってきた。総検校は10万石(一説には15万石とも)の大名と同格…

53.高井郡2万石の代官のこと

朝熊岳金剛證寺:三重観光開発のホームページから 土呂松平家から代官の職を引き継いだ念誓の弟親成(浄旦)の家は、隠居後に構えた館の場所にちなんで御馬家と称された。その地は右馬允家第2代の甚右衛門(親常)が居城(住居兼砦)としたところであって、…

52.清左衛門襲名と祝言のこと

家康が掲げた「欣求浄土」の旗:釘浦山大澤寺のホームページから 大阪の陣のあとのことである。 豊臣家(本稿の仮説では第1次吉利支丹一揆)を滅ぼして、自ら陣旗に掲げた「厭離穢土欣求浄土」と「元和」を達成したことに安心したわけではなかったろうけれ…

51.真田の姫の乱妨取りのこと

葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱:東慶寺(北鎌倉)蔵/重要文化財 大坂落城の余話である。 秀頼が自刃した5月8日の夕刻以後も、散発的な戦闘は続いていた。 徳川方の記録は ――豊臣の残党 というのだが、城主が自刃し多くの将が討ち死にしても、なおゲリラ戦が行われた…

50.秀頼の落人伝説のこと

真田の抜け穴:三光神社(大阪・玉造本町宰相山公園) 小田原城が降伏したとき、秀吉は家康以下の諸将を率いて城内に入って勝鬨をあげ、天守から城下を睥睨した。軍兵の解散と武装解除、事実上の当主北條氏政、全軍の指揮官氏照の自裁、城主氏直の退去という…

49.宗教戦争第2幕のこと

フランシスコ・ザビエルの肖像;神戸市立美術館(重要文化財) 安土桃山、伏見・駿河幕府のころの吉利支丹はどれほどの力を持っていたか、われわれはあまり知らない。教科書日本史は鉄砲伝来、南蛮貿易、イエズス会、吉利支丹弾圧、鎖国・出島という筋立てで…

48.吉利支丹と国富流出のこと

後藤分銅:江戸時代に両替商が用いた(Wikipediaから) 大阪落城、豊臣家滅亡を確認した家康は、松平忠明を大阪城代に任じて京の二条城に入った。忠明は前年の講和に基づいて大坂城の濠を埋め立てる作業を指揮した立役者である。その働きがなければ、豊臣家…

47.二条城での対面のこと

炎上する大坂城 これから先の話に通底することを書いておきたい。第1部から数えて47回目になってやっと、というのは遅きに失する感がないでもない。それはその通りだが、改むるに憚ることなかれ、である。 洛中から赤く輝く空が望まれるほど大坂城が激し…

46.大坂戦役の赤備えのこと

真田の赤備え:NHK大河ドラマ『真田丸』 大坂城の豊臣家が滅びたのは、慶長20年(1615)の5月8日である。グレゴリオ暦に直すと6月4日に当たる。 このとき市右衛門は天王寺の家康本陣にいた。わずか21歳、駿府城勤番の旗本に加えられて半年を過ぎ…