49.宗教戦争第2幕のこと

フランシスコ・ザビエルの肖像;神戸市立美術館(重要文化財) 安土桃山、伏見・駿河幕府のころの吉利支丹はどれほどの力を持っていたか、われわれはあまり知らない。教科書日本史は鉄砲伝来、南蛮貿易、イエズス会、吉利支丹弾圧、鎖国・出島という筋立てで…

48.吉利支丹と国富流出のこと

後藤分銅:江戸時代に両替商が用いた(Wikipediaから) 大阪落城、豊臣家滅亡を確認した家康は、松平忠明を大阪城代に任じて京の二条城に入った。忠明は前年の講和に基づいて大坂城の濠を埋め立てる作業を指揮した立役者である。その働きがなければ、豊臣家…

47.二条城での対面のこと

炎上する大坂城 これから先の話に通底することを書いておきたい。第1部から数えて47回目になってやっと、というのは遅きに失する感がないでもない。それはその通りだが、改むるに憚ることなかれ、である。 洛中から赤く輝く空が望まれるほど大坂城が激し…

46.大坂戦役の赤備えのこと

真田の赤備え:NHK大河ドラマ『真田丸』 大坂城の豊臣家が滅びたのは、慶長20年(1615)の5月8日である。グレゴリオ暦に直すと6月4日に当たる。 このとき市右衛門は天王寺の家康本陣にいた。わずか21歳、駿府城勤番の旗本に加えられて半年を過ぎ…

45.長澤松平家の騒動のこと

皆川広照の墓:栃木市金剛寺(「武将の銅像と墓参り」から) 松平清三郎は数え14歳の慶長13年(1608)に元服し、通り名を市右衛門と改め、諱は「親正」と定まった。一方の長四郎が元服したのは16歳の慶長16年(1611)で、このときの諱は「正…

44.市右衛門と長四郎のこと

日光の杉並木:travel.jp 所伝によると、大河内金兵衛(久綱)の長男長四郎が ――代官ではいやじゃ。 と言ったのは慶長6年(1601)のことだったという。 室町に幕府があったころ、大河内の家は三河吉良氏の被官で、そもそもは遠江国曳馬荘(浜松市)の代…

43.代官の子は代官のこと

松平忠輝像:貞松院(長野県諏訪市) 土呂陣屋を預かっていた念誓の長男清蔵(親重)は、実父の死を境に通り名を「清左衛門」に改めた。「清左衛門」は念誓も出家する直前、岡崎三郎(信康)の宿老に加えられたときに名乗っていたことがある。右馬允家当主の…

42.泣き虫の寝小便垂れのこと

剣術と槍術:天真正伝香取神刀流のYouTubeから 話を念誓の生前に戻す。 清三郎少年の家は公家でもなければ神官でもない。元は武家だが、現在は百姓である。しかし父親は土呂三八市評定衆の筆頭格であり、近在25村1万2千余石を差配する代官でもある。 か…

41.伏見と駿府の幕府のこと

安土桃山様式の装飾垂木:静岡浅間神社 前回に続いてで恐縮だが、教科書日本史は、慶長8年(1603)の2月に徳川家康が征夷大将軍に任じられたことを以って ――江戸に幕府が開かれました。 と書く。 日本史の時代区分は、世相状況を表す「戦国」時代を別…

40.関ヶ原合戦のあとのこと

関ヶ原合戦図屏風:関ケ原町歴史民俗資料館 関ヶ原合戦のあとのことに触れておきたい。 教科書日本史では ――関ヶ原の合戦で西軍が負けて、石田三成は三条河原で処刑されました。 ないし、 ――徳川家康が天下を握り、豊臣家は一大名の地位に陥落しました。 で…

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