西尾城 文禄2年(1593)、家康は九州肥前の名護屋城にいる。手代頭の槙六郎左衛門が ――今年はいずれへ。 と問うたのは、茶壺を江戸に送るか名護屋城に詰めている家康の許へか、という意味である。 念誓がやや思案の末に ――どちらにも。 と言ったのは、…
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