6.道 者

33.琵琶法師「当道座」のこと

山田検校顕彰碑(藤沢市江ノ島) 木枯らしが吹き始めたころ、果たして川井惣五郎と熊田新五郎は圓都の返書を持ち帰った。行きに4日、戸倉の城下で返書を待つのに1日、帰りに4日、都合8泊9日かかっている。東海三国を通る東海道は度重なる軍兵輜重の往来…

32.伊豆検校土屋圓都のこと

伝井伊直虎着用の幅広袖付胴丸:井伊美術館 文禄5年(1596、同年十月二十七日改元し「慶長」)から慶長3年(1598)にかけて、風魔党と関東周辺の忍者集団との間に起きた軋轢は「慶長騒擾」と称される。 風魔党と争ったのは越後の伏齅(ふせかぎ)…

31.久々の寄騎衆評定のこと

服部半蔵正成:Wikipediaから 話が前後しているので、筆者のメモとして書いておくのだが、年次は慶長2年(1597)、念誓64歳の10月である。旧暦の10月は新暦の11月中旬から12月にかけての時期に当たる。 念誓宅もしくは額田屋には、三河に残留…

30.伊賀と三ツ者と風魔のこと

忍者:ホームページ「観光三重」から 今回は忍者について、である。 安土桃山のころ、盗賊のなかには隠密活動や破壊活動に従事した人々が混ざっていた。いわゆる「忍」であって、カムイがそうであったように、その少なからずは被差別階層の出自であったり戦…

29.五右衛門釜煎り刑死のこと

石川五右衛門と一子五郎市:一陽斎豊国画 念誓が、明年は還暦、と思い定めて昵懇巡りを始めた文禄3年(1594)に時を戻す。その8月24日(グレゴリオ暦10月8日)のこと、京の三条河原で盗賊の一味が処刑された。 権大納言(太政官次官)山科言経は…

28.安土桃山"バブル"のこと

『道外武者 御代の若餅』(部分):歌川芳虎 天下を鳴かないホトトギスに喩えて、 ――信長は「殺してしまえ」、秀吉は「鳴かせてみしょう」、家康は「鳴くまで待とう」 というのは、揶揄混じりに正鵠を突いた歴史批評に思われる。 あるいは餅に喩えて、 ――織…

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