9.元 和

51.真田の姫の乱妨取りのこと

葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱:東慶寺(北鎌倉)蔵/重要文化財 大坂落城の余話である。 秀頼が自刃した5月8日の夕刻以後も、散発的な戦闘は続いていた。 徳川方の記録は ――豊臣の残党 というのだが、城主が自刃し多くの将が討ち死にしても、なおゲリラ戦が行われた…

50.秀頼の落人伝説のこと

真田の抜け穴:三光神社(大阪・玉造本町宰相山公園) 小田原城が降伏したとき、秀吉は家康以下の諸将を率いて城内に入って勝鬨をあげ、天守から城下を睥睨した。軍兵の解散と武装解除、事実上の当主北條氏政、全軍の指揮官氏照の自裁、城主氏直の退去という…

49.宗教戦争第2幕のこと

フランシスコ・ザビエルの肖像;神戸市立美術館(重要文化財) 安土桃山、伏見・駿河幕府のころの吉利支丹はどれほどの力を持っていたか、われわれはあまり知らない。教科書日本史は鉄砲伝来、南蛮貿易、イエズス会、吉利支丹弾圧、鎖国・出島という筋立てで…

48.吉利支丹と国富流出のこと

後藤分銅:江戸時代に両替商が用いた(Wikipediaから) 大阪落城、豊臣家滅亡を確認した家康は、松平忠明を大阪城代に任じて京の二条城に入った。忠明は前年の講和に基づいて大坂城の濠を埋め立てる作業を指揮した立役者である。その働きがなければ、豊臣家…

47.二条城での対面のこと

炎上する大坂城 これから先の話に通底することを書いておきたい。第1部から数えて47回目になってやっと、というのは遅きに失する感がないでもない。それはその通りだが、改むるに憚ることなかれ、である。 洛中から赤く輝く空が望まれるほど大坂城が激し…

46.大坂戦役の赤備えのこと

真田の赤備え:NHK大河ドラマ『真田丸』 大坂城の豊臣家が滅びたのは、慶長20年(1615)の5月8日である。グレゴリオ暦に直すと6月4日に当たる。 このとき市右衛門は天王寺の家康本陣にいた。わずか21歳、駿府城勤番の旗本に加えられて半年を過ぎ…

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