3.下敷き「長門守一件」のこと

筆者から:この史譚は歴史的事実を踏まえつつ、推測と想像を交えて書いています。小説らしからぬ創作ですので、すべてを事実と誤解なきようにお願いします。

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酒井長門守ゆかりの五輪塔六地蔵藤沢市遊行寺

 藤沢さんがなぜ、全国に800人ほどしかいない「三屋」の姓を主人公の名に選んだのか、と同じように、

 ――なぜ清左衛門だったのか

 という疑問もある。

 内蔵助でもよかったし、主水でも勘助でもよかったのではないか。

 ――◯左衛門、◯右衛門だといかにも武士……

 らしいとしても、平左衛門、杢右衛門など、他にいくらでも候補はある。「清」の一文字に、知恵と情が豊かで清廉で温和、というイメージを付けたかったのかもしれない。

 ちなみに◯左衛門、◯右衛門、◯兵衞、◯大夫、◯助といった名は「通り名」であって、元服、結婚、長男誕生、代替わりなどで変わる(変える)ことが珍しくなかった。頻繁に変える(変わる)ことがなかったのは「諱」(いみな)だが、本名を軽々しく口にすることは憚られた。つまり「忌み名」である。三屋清左衛門の本名は、小説の中で最後まで明らかにされていない。

 そのことはいったん措くとして、「残日録」の底流となっているのは藩主の座をめぐる骨肉の争いである。現藩主の世継ぎ「剛之助」が病弱なことにつけこんで、筆頭家老「朝田弓之助」は前藩主の実弟で3千石の旗本となっている「石見守信光」と連絡して、信光の次男「友次郎」を藩主の養子にするべく画策した。

 ところが世継ぎの「剛之助」が成長するとともに病弱な体質から脱したので、朝田家老は計画を握り潰そうとする。石見守が密かに毒を盛って世継ぎを亡き者にしようとしていることを知った朝田家老は、国者を手配して石見守を暗殺する――というのが、第14話《闇の談合》のあらましである。

 この御家乗っ取り計事件は、庄内藩主酒井左衛門尉家に起こった「長門守一件」と呼ばれる事件が下敷きになっている。主要な登場人物は庄内藩13万8千石の初代藩主酒井宮内大輔忠勝、その弟長門守忠重、忠重の陰謀を阻止せんとした家老高力喜兵衛の3人だ。

 酒井忠重は出羽國村山郡白岩郷8千石の大身旗本だったが、知行地で2度まで百姓一揆を発生させた。寛永15年(1638)、一揆の原因となった苛政を罪に問われて領地没収のうえ、実兄忠勝にお預けとなった。そこで今度は、自身の長男・九八郎忠広に兄忠勝の娘於満を娶らせたうえ、世子忠当を廃嫡して忠広を左衛門尉家の後継者にしようと画策した。

 正保3年(1646)、家老高力喜兵衛らが江戸に上って老中に提訴したが、藩主忠勝が弟忠重を擁護したため、高力以下は追放や家禄没収、死罪の処分となった。翌年10月、忠勝が病死し、家督を世子忠当が継いだことで忠重の企図は頓挫した。

 ここまでがいわゆる「長門守一件」のあらましだが、忠重の不行状はその後も続いていた。承応元年(1652)、忠勝の財産を分与する遺言状に自分の名前がなかったのはおかしいと幕府に提訴したが却下され、次いで忠当から金2万両を以って義絶されている。

 あれこれの不行状の末、再び改易されて浪人となり、下総國市川村に閑居していたところ、寛文6年(1666)9月の夜、何者かに襲われて死去。69歳だった。戦国の世であれば英雄猛将ともてはやされたやもしれず、泰平の世は生き難かったに違いない。

 藤沢さんはこれを題材に『長門守の陰謀』という短編を書いている。「残日録」が描く海坂藩の御家乗っ取り・派閥争い事件の下地になっているのは明らかだ。清左衛門のモデルを強いて探すとすれば、

 ——忠重の陰謀を阻止せんとして追放された家老高力喜兵衛。

 と言いたいところだが、喜兵衛を清左衛門に当てるには強情が過ぎる。

 嘉兵衛とともに江戸に出奔したまま逼塞していたが、承王3年(1654)に呼び戻されて1500石で家老に復帰した水野内蔵助いうことになるだろうか。

 『長門守の陰謀』では、その出発点とも言うべき出羽國村山郡白岩郷の百姓一揆に細かく立ち入っていない。一揆寛永10年(1633)と同15年(1638)の2回に及び、山形城主保科正之をも巻き込んだ大事件だった。しかし藤沢さんは酒井家家督をめぐる騒動にスポットを当てるため、煩雑になるのを避けたのに違いない。

 にしても、想像するに、それを調べていくうち、「清左衛門」の名に触れたことがあったかもしれない。一揆のあと、親子2代、30余年の年月をかけて、険悪の極みに達していた百姓との和解の道を探った幕府代官の名が、松平清左衛門というのである。

 

【注】本稿は様ざまな書籍、資料およびWikipediaやWebサイトの情報を参照して組み立てています。

今篇の参照は

●『長門守の陰謀』(藤沢周平)文春文庫:2009年7月新装版

● 酒井忠重 - Wikipedia

● 白岩一揆(しらいわいっき)|日本史 -し-|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−|Historist(ヒストリスト)

【口絵】写真は筆者

 

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