4.江戸幕府主導の偽作のこと

筆者から:この史譚は歴史的事実を踏まえつつ、推測と想像を交えて書いています。小説らしからぬ創作ですので、すべてを事実と誤解なきようにお願いします。

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戸隠神社(長野県)の松柱神事

 本稿の主題は幕府の代官として出羽國に派遣された松平清左衛門について、である。「松平」姓なので、徳川将軍家の眷属なのは言うまでもない。

 代官というと、テレビ時代劇では

 ――ウフウフ……越後屋、お主も悪よのぉ

 が定番だが、現今の職業に置き換えると「地方行政の長官」ということになる。徳川将軍の代わりに税(年貢)を徴収し、治安を守り、訴訟を裁いた。その意味では大名も将軍の代官だったので、地域にあって将軍家の代官は大名と同格といっていいほど強い権限を持っていた。

 最初に松平清左衛門の概略を記しておくと、寛永6年(1629)に徳川2代将軍秀忠の家臣となり、寛永19年(1642)閏9月10日付で出羽國最上の銀山奉行と村山郡幕領の代官に就任した。寛文6年(1666)4月28日付で隠居するまで、足掛け25年の長きにわたって出羽代官を務めた。

 やや迂遠ながら、清左衛門が属した松平氏について記しておきたい。

 松平氏三河加茂郡松平郷に住んでいた賀茂氏もしくは在原氏の支族とされている。郷名を名乗ったとするのが常識だが、そもそもは「松本」だったとする説がある。文字として「松平」の初見は、郷名が天文元年(1532)、人名が寛正6年(1465)の年記を持つ「松平和泉入道」だという。

 「松平」の姓を素直に解釈すれば、

 ——松が生えている平らなところ。

 に由来する。

 海辺の砂地、山の岩場など厳しい条件でも根を張り、針状の常緑葉を茂らせる。だけでなく樹脂が虫を寄せ付けず、樹木や枯葉は強い火力を生む。そこに太古の人々は神秘性を感じ取った。

 神霊が降りてくるのを待つことから「マツ」の名が付され、年越しの門々に飾る習慣ができた。また、それゆえに神霊を奉斎する聖域に松が植えられた。「松平」とは、神社仏閣陰陽祈祷修験の場所、すなわち聖域霊場を意味している。松平氏陰陽道宗家賀茂氏の流れ、とされるのは故なしではない。 

 伝説のうえでは松平郷の国人松平太郎左衛門(信重)を初代とし、その娘婿となった時宗の僧「徳阿弥」、元の名は世良田次郎三郎(信武)改め松平親氏が第2代、親氏の長男または弟の泰親が第3代、信広・信光が第4代となる。

 太郎左衛門信重に「伝説のうえで」と断りを入れたのは、山中の有徳人という設定がいかにもお伽話だからである。2人の娘の名が「海女」「水女」で、上の「海女」が酒井家に嫁ぎ、下の「水女」が徳阿弥、還俗して親氏を婿取したという話は、海彦山彦と類似の対称をなしている。

 徳阿弥が松平郷に流れてくる前、三河國の酒井郷(尾張三河の境界となった川=境川の河口付近)で同郷の国人五郎左衛門の娘との間に男児をなし、それがのちに小五郎親清と名乗って松平家に仕えた云々の説話も、徳川の世に創作された辻褄合わせにほかならない。

 実在が確認できるのは第4代松平信広と信光の兄弟である。兄の信広は代々の名乗りである「太郎左衛門」を襲名し、弟の信光は京に出て「左京亮」の名乗りを得た。「和泉入道」とは、信光の法名である。

 生母家の家督を継いだ信広の直系代々は、松平郷から動かなかった。江戸期の武家社会いおいて、正嫡男子(正室が生んだ最初の男児)を正統な家督としたことと考え合わせると、やや違和感がある。

 付随して思い出すのは、昭和前半(昭和30年代)まで珍しくなかった農家の相続である。上の兄弟が家を出て都会でサラリーマンになり、田畑の相続権を放棄する。結果、末弟が先祖伝来の資産をそっくり相続するので、田畑が分割されることがない。

 それは縄文、弥生の末子相続、母系相続にも通じるものであって、本当は信光が兄、信広が弟であってもおかしくない。正嫡が正統とする江戸期の認識が、兄弟の順を逆転させたのかもしれない。

 信広―長勝―勝茂―信吉―親長―重長—由重と続き、重長は長久手の戦(1584年4月)で家康本陣の馬廻り衆として後備えを仕り、討ち死にした。子がなかったので、弟の 由重(よししげ:1543〜1603)が後を継いだ。

 由重は永禄3年(1560)苅屋(刈谷)城合戦で重傷を負って松平郷に帰っていた。その子尚栄が30歳のとき、弟信晴とともに関ヶ原合戦(1600年10月)に参陣して徳川家旗本に列した。「本家」ながら、松平郷220石が安堵されたに過ぎなかった。

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松平町の位置(赤いマーク) By Google Map

 

【注】本稿は様ざまな書籍、資料およびWikipediaやWebサイトの情報を参照して組み立てています。

今篇の参照は

● 松平氏 - Wikipedia

●『尾花沢代官関係資料』(尾花沢市史編纂委員会)1986年3月30日

● 松平信光 - Wikipedia

● 松平尚栄 - Wikipedia

 

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