42.泣き虫の寝小便垂れのこと

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剣術と槍術:天真正伝香取神刀流のYouTubeから

 話を念誓の生前に戻す。

 清三郎少年の家は公家でもなければ神官でもない。元は武家だが、現在は百姓である。しかし父親は土呂三八市評定衆の筆頭格であり、近在25村1万2千余石を差配する代官でもある。

 かてて加えて、かの徳川家康公が膝に乗せて、

 ――徳川に尽くせよ。

 と直々に声をかけた。

 こうなったら周囲の者は下にも置かず、腫れ物に触るように、言葉も丁重にならざるを得ない。成金の家に生まれたドラ息子がやりたい放題、我儘放題に育ったあげく、人を殺め身上を潰す。それでも家柄血筋が貴とされた当時であれば、家老番頭が不祥事をもみ消し、被害者は泣き寝入りすることになりかねない。

 ところが清三郎の少年時代は、そのようではなかったらしい。

 念誓はおそらく放任主義で、

 ――やりたいようにさせよ。

 が口癖だったであろう。

 ――ただし、人を打擲したり傷つけさせてはならぬ。

 おかかさま(おこう)や守役を命じられた山岡久兵衛は、きつく申し渡されていた。

 慶長年間、いかに楽市楽座とはいえ、土呂三八市で玩具や書画の具材が扱われていたとは思われない。そのようなものは行商人が葛籠を背負って分限者の戸口を叩いたのだが、おこうは清三郎に買い与えることはしなかった。

 夫の念誓は特段に吝嗇ではなかったし、おこうの自由になる手元銭がなかったわけではない。父と母がそろって質素倹約の家に育った、ということで、清三郎が遊ぶには近隣の子どもと同様、いま目の前にあるものを使うしかない。

 髪型や着衣、物言いが異なるにせよ、児童が遊び場は現今と大きく違わない。むろん遊び方は違う。筆者の時代は缶蹴りや石蹴り、キャッチボール(ゴム球)、鉄棒などだったが、その場所は家と家の間の通路であったり広場だったりした。

 清三郎にあっても、道や広場、川や池が遊び場だったし、木の枝や道端の石が遊び道具になった。三八市のなかの路地を駆け回るのが楽しかったり、荷ほどきしたあとの藁縄や俵の端材が宝物に見えたりした。春先ともなれば頭から足のつま先まで砂塵まみれだし、走って転べば擦り傷ができ血が滲んだ。

 ――いや、かなわん。

 と長じた清左衛門は苦虫を噛み潰すかもしれない。ここでは幼いころ、つまり清三当時の清三郎は、泣き虫の寝小便垂れだったことにしておこう。今ふうにいえば自意識過剰気味な甘ったれだったので、三つ年下の妹おたあ(於多阿)におかかさまがかかりきりになると、腹が痛いと言い出したりわざと転ぶなど悪戯を働く。

 おかかさまから叱られるとプイとどこかへ姿を晦まし、家人が心配し始めたころを見計らうように念誓の書院に現れる。念誓は毎夕、自家醸造の酒でほろ酔いになる。その酒ぐさい息を厭わず、きゃっきゃと言いながら首に腕を回し膝に乗る。ちょっと面倒な子どもだった、とせよ。

 ただ頭の回転は早く、記憶力が高かった。浄光寺、本宗寺あたりの和尚が文字を教えればたちまち覚え、どこまで意味を解しているかはともあれ、経文を空で唱え、漢籍を読んだ。額田屋は商いの家なので、気がつけば大福帳の意味を解し、物の数を数え、足し引きするようになっていた。

 ――おお、清は賢いことよ。

 褒められるたびに清三郎は新しいことを覚えていく。

 慶長9年(1604)8月の念誓死去が、清三郎の転機となった。

 周囲の者から言われたこともあったろう。

 ――母を助けなければならぬ。

 という思いが生まれたのに違いない。

 折しも右馬允家の長男で、江戸に住まいを移していた清蔵(親重)が家族ともども土呂に戻ってきた。駿府城の幕僚が、清蔵を名指しして

 ――三河代官の補佐を寄越せ。

 と談判したものらしい。

 この年、清蔵は五十歳だが、系譜の上では清三郎の兄に当たる。家康の命で土呂陣屋に入り、そこに剣術の修練場を整えた。三河界隈は合戦というものが絶えて久しく、戦塵どころか刀槍の扱い方を知らない武家の子弟が圧倒的に多かった。

 ――それでは示しがつかぬ。

 と清蔵は言い、

 ――清も通え。

 と命じた。扱いは右馬允家家中の子弟と同列、指導に当たるのは合戦の経験がある寄騎、同心なので容赦はない。

 ――刀槍のことは命のやり取りと心得よ。

 ここで付記しておくと、竹刀、たんぽ槍というものが発明されたのはぐっと後世のことである。この時代はごく一部で柳生の蟇肌竹刀(袋竹刀)が使われていたものの、土呂においてはまだ木刀、木槍だった。

 まず正座をする。正座したまま額が地面につくまで下げる。手の構え方、腕の曲げ方にも作法がある。次に

 ――キェーッ

 と気合を張り上げる練習をする。

 それでやっと木刀の扱い方を教えられ、ただひたすらに振る。

 振り下ろし、切っ先を目線の高さで止めることができなければ次に進めない。それができるまで素振りをし、次に対面で木刀を合わせ切り返す。あるいは立木や吊るし木に打ち込む。

 その繰り返しだが、柄をしっかり握らなければ自身の脛をしたたかに打つ。真剣であったら、闘う前に自傷することになりかねない。指の付け根にできた肉刺がつぶれ、その痛みをこらえてまた木刀を振る。血が滲み、皮膚がめくれ、汗が沁みる。それでも木刀を振る。

 ――痛みに耐えよ。

 逃げたいと思う気持ちを抑え込む、堪えながらあと一振り、もう一振りとやり続ける。それが武士を育てていく、というのが「乱暴な」と感じるのは平和で満ち足りた21世紀の現在から見ているからである。

 泣き虫の寝小便垂れはみるみる腕や脚が太くなり、声変わりと同時にぐんぐん背丈が伸び始めた。おかかさまの血を引いたのに違いない。

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